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2011年08月 24号  創刊2周年記念企画 (前編)

健康に過信していた自分が 「人間って やっぱり死ぬんだ」ときづいた時。
庭の草や雨風は素敵な言葉をくれました

 


つくば駅から車で10分ほど走ると目の前には広々とした田園風景が…。かねてよりお会いしたいと気持ちを馳せておりました島崎先生のご自宅に伺ってきました。「月刊てあて」も8月で創刊2周年。24枚もの表紙絵を描いて下さった先生の絵手紙の原点やご家族への想いを2回に分けてご紹介させていただきます
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▲よく手入れされた自宅庭の菜園では、たわわに実った野菜・たくさんの草花が咲いていました。島崎先生の絵手紙のモチーフはこの庭から生まれてきたのだと実感しました。)

私にとって絵手紙は自分の内面を正直に綴る絵日記のようなもの…

──3月11日の震災のことを表現された、第21号と22号の表紙絵には多くの方から共感が寄せられました。 
     違う立場の人でも「自分に置き換えて感じる」ことが出来るのは何故でしょうか? 

 絵手紙は絵と書と言葉の内容この三つで世界を作ります。つまり手紙であることが原点であるならば誰かに気持ちを伝える、いわば誰かへの語りかけなんです。私の場合は、自分の生活の一端と結び付く気持ちが言葉に置き換えられた時は、それが特定の個人に宛てたものでなくても、不特定多数の方の共感を得られるならば、公表してもいいのかなと思っているんです。

すべてが感謝につながる言葉

──先生の絵手紙はすべてが感謝につながる言葉のような気がしますが、そう感じるのはいったい何故でしょうか?

 私がひとつだけ意識していることは、教訓めいたことやお説教がましくならないようにしようということです。私の価値観を素直に表現できればそれでいいと思います。被災者の方には、その実情を思うと、がんばれ!とは言えなかった。だから、ただ自分が頑張っているということを表現できればそれでいいかなと思います。

 

命あることへの喜び…絵手紙の原点

──病気と介護…その巡り合わせから教わったことは何でしょうか?

 私が倒れてひと月入院、家に帰った時、台所で玉ねぎが芽を出していたんです。それを見た時「めがみえるいのちがみえる」という言葉で表現したけれど、命を救われて無事に帰ってきた時「私も生きている」と玉ねぎが語りかけてくれたんです。芽と命…無事で帰ってきたから出会えた現象です。

 島崎先生の絵手紙への想いや考えはどこまでも謙虚で、そんな先生の絵手紙だから、やさしくて素敵なのだと改めて感じる取材となりました。  (後編)25号につづく
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島崎さんのご自宅ではたくさんの話を聞くことが出来ました。

■ご自宅ロングインタビュー(後編)  ↑TOP

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