月刊てあて「特集」

今月の特集

2012年1月1日<29号(2012年1月)>

元気になって、また茶屋をやりたい!

  • 担当マッサージ師/中央在宅マッサージ福島院 小島 るみ
  • 撮影・レポート/中央在宅マッサージ福島院相談員 古山 寿美恵
元気になって、また茶屋をやりたい!
「在宅マッサージには感謝! 感謝! 今は、おしゃべりしながら過ごす、この時間が幸せです」とHさん。担当マッサージ師小島るみと。

福島市西部、土湯温泉街から車で約10分のところに女沼があります。春には水芭蕉、初夏にはつつじの赤に染まる美しいこの沼の畔で、「女沼茶屋」を営んできたのがH.Aさん(86歳)です。現在は茶屋の看板を下ろしていますが、脳梗塞、膝関節症の悪化による歩行もままならない不自由な身体で、向かいのご自宅から毎日ここに通い32年間の思い出が刻まれた場所で日中を過ごしています。真っ白な初雪が降り積もった晩秋の午後、Hさんが一人待つ茶屋を訪ねました。

鹿児島、満州、 そして福島西部の女沼に

鹿児島、満州、 そして福島西部の女沼に
標高532mの地にある女沼。周辺は遊歩道が整い、春は水芭蕉、初夏はツツジと新緑、秋は紅葉が楽しめます。

Hさんの人生は大河ドラマのように波乱に満ちています。長崎に生まれ、女学校卒業と同時に満州鉄道に就職して満州へ。終戦後、生きていくために結婚し、命がけで帰国しました。
「県の世話でこの地に主人と2人で開拓に入りました。その日は奇しくも22歳の誕生日で、生まれ変わって生きていこうと覚悟しました」。しかし始めた酪農、養鶏などはうまくいかずに、ご主人は観光協会に就職。Hさんも農業の傍ら、農協や病院の事務員として働きました。転機が訪れたのは昭和55年。周辺の沼に自生する水芭蕉を公開することになり、訪れた人が休憩できる場を提供しようと、野菜畑だった土地に「女沼茶屋」を建てて営業を始めたのです。
 ラーメンやおそば、お手製の草餅……、心づくしの料理と女主の温かい笑顔が評判となり、季節になるとたくさんの人が訪れるようになりました。東日本大震災のときは、近くの土湯温泉に避難していた被災者の方もここを訪れて、Hさんも力の入らない手で精一杯もてなし励ましたと言います。

「いろいろなことがあっても、何とか切り抜け、くぐり抜けてきました。常に夢と希望があったから」/H

「いろいろなことがあっても、何とか切り抜け、くぐり抜けてきました。常に夢と希望があったから」/H
「足の痛みはだいぶ良くなったけれども、今は腰が痛くて」。茶屋の仕事に戻るには、もうしばらくの養生が必要です。

長い冬の後には 必ず春が来る

 長い冬の後には 必ず春が来る
22歳で結婚。2人とも貯金も仕事もないところからのスタートでした。左は、庭に咲いた大ツツジの前で。

「茶屋をもっと続けたい気持ちはあるけれども、身体がついていけないのがはがゆくて」とHさん。週に1回の在宅マッサージが今は何よりの楽しみとも。
 茶屋の庭には1本の大ツツジが植えられています。樹齢100年余で毎年、初夏には大輪の花が見事に開花します。そのツツジの花のように、身体が元気になれば茶屋を再開する夢を諦めることなく抱き続けています。
 厳しい自然の中で、常に夢と希望を持って生きてきたからこそ、必ず春が訪れることを誰よりもHさんが知っています。