今月の特集
2012年4月1日<32号(2012年4月)>
巨大津波から一年 宮城県女川町を訪ねて・・・。

東日本大震災から一年、オリックス財団よりきっかけを頂いた私たちは、仙台の仮設住宅に引き続き、2月と3月の週末に、多くの方が津波の犠牲者となった宮城県女川町を、復興支援センターのご協力のもと、数回にわたり訪問させて頂くことができました。今号では2月26日・3月4日に女川町を訪ねた2人の相談員のレポートをお届けします。
震災の惨禍を間近に

初めて宮城県女川町に降り立った時、津波で壊滅状態の町の姿に声も出ませんでした。家屋があったと思われる場所は、更地やがれき置き場となり、町の中心にある大きな建物は中身が空っぽで、壁のコンクリートや鉄骨だけがむき出しになっていました。横倒しになった建物もいまだそのまま。レンタカーの車窓から震災の惨禍を間近に目にし、「あの日」の凄まじさを肌で感じ、胸が痛みました。
集会場や仮設住宅で施術

初日の2月29日(日)は、指ヶ浜仮設住宅(14世帯)と旧第三小学校グラウンド仮設住宅(22世帯)の2か所にて施術をさせて頂きました。
「ここは(小学校グラウンド仮設)、5つの部落が集まっているんです。初めは知らない人だらけでなかなか打ち解けられなかったのですが、今は全員の顔がわかるくらいに打ち解けました」
「東京でも3か月暮らしたけれど、どんなに不便でもやっぱりここがいいんです」と、住人の方が話してくださいました。
翌週3月4日には、桐ヶ崎仮設住宅と石浜地区在宅15世帯です。桐ケ崎仮設住宅は、車が一台しか通らない山の中腹にあり、21世帯58人が住んでいます。
「談話室」と書かれた集会室には、すでに3人の方が私たちの到着を待っていてくださいました。
明るさとたくましさの中で

石浜地区は、90パーセントが津波に流されました。現在は高台に建っていたため、わずかに残った15世帯が協力しながら生活しています。私たちは世話人のKさんのご自宅をお借りしてマッサージを行いました。
集まってくださった方々は本当に優しく、初めて伺った私たちを快く受け入れ歓迎してくれました。そして、「マッサージは初めてよ」「うれしいわ」ととても喜んでくださいました。
一度だけの訪問になるかも知れないことが申し訳なく、別れ間際に「誰か一人置いていきましょうか?」と相談員が言うと「全員おいて行って!」と返されてみんなで大笑い!明るくたくましいみなさんに、たくさんの事を学びました。
「マッサージは初めてよ」 「うれしいわ」 の声に勇気づけられて…

必要な被災者の方へのケア

仮設住宅での生活は身体を動かすことがあまりないため、膝や腰の痛みを訴える方が多くいました。
まだまだ働き盛りの男性も「運動不足で肩が上がらないよ」などと言います。震災で生活形態が一変したことにより、身体もまたケアが必要な状況であることは、私たちにも理解できました。
今回、私たちは復興支援センターのYさんの意向もあり、普段マッサージなどのサービスが入りにくい沿岸の仮設住宅や孤立した住宅を中心に訪問させて頂きました。
一人でもたくさんの方にと、事前にチラシをポスティングしたり、区長さんに掛け合って下さったりと、忙しい中、時間を割いて下さった支援センターのみなさんには、本当に頭が下がる思いです。
そして「在宅マッサージ」の果たすべき役割を改めて感じることができました。
今回の体験をここで終わらせることなく、次につなげていくために、私たちが出来ることは何なのか、深く考える機会となりました
今回で最後ではなく、末永く女川と付き合って欲しい。

「次に来たときもぜひ受けたいので、また来てくださいね」
桐ヶ崎仮設住宅のみなさんと。