今月の特集
2016年3月30日<80号(2016年4月)>
泣いても、笑っても病気は変わらない… だから笑おうと決めたのです
- 担当マッサージ師/中央在宅マッサージ 昭島院 柏木 茉実・藤本 愛美
- レポート /中央在宅マッサージ 石川 典子
3分に一回は笑いが起こる!とにかく明るく笑いのセンス抜群のK・Nさん。3人のお子さんにも恵まれ、幸せ絶頂期に多発性硬化症という難病を発症しました。彼女の泣き笑いの半生に、底抜けに明るい人柄に、生きるということの尊さと意味を教えてもらいました。
難病との闘い
東京都日野市にご主人、息子さんの3人で暮らしているK・Nさんは、今年1月に53才になりました。お子さんは長男、双子の娘さん。なんと3人のお孫さんもいます。
多発性硬化症とは、聞きなれない病名ですが、落語家の林家こん平さんが患った病気として知られています。
Nさんが異常を感じたのは1989年26歳の時でした。
急に眼が見えなくなり、眼科を受診しましたが、原因不明。一年ほどして良くなったため、それが病気のサインとは気が付かないまま、普通の生活をしていました。
そんな中、再び病魔が牙を剥いてきたのは、5年後、双子のお子さんが小学校4年生くらいになった頃です。
「二人の卒業式には、母はもう一人では歩けなくなっていました」と長女のMさん。
色々な病院で調べてもらいましたが、原因はわからず、「なんなの?」という日々が続きました。
それから2年後、やっと多発性硬化症という診断が付いたとき、Nさんは、三か月間泣き通しだったといいます。
夢は、いつかまた 歩けるようになって、 家族で沖縄へ行くことです。/Tさん
諦めない、それが 私のメッセージ
若い頃は、スキーやサーフィン、テニスと、とにかくスポーツが大好きでした。けれど最近は立つことさえ難しくなってきました。
「いつごろから歩けなくなりましたか?」の問いに「あれは三年前〜♪」と歌うNさん。また爆笑が起こります。
なぜそんなにも明るいの?とうかがうと「泣いても、笑っても、同じ時間でしょう?だったら笑っていようと決めたの」たくさんの辛さを乗り越えてきた人の言葉です。
「結婚や子育てと、色々経験していく中で母の苦労がやっと分かってきました」「今は、限られた時間を出来るだけ一緒にいようと思います」と長女のMさん。
「そうそう、だから沖縄行こう〜」とNさん。また冗談で涙が笑いに変わります。今後の夢は?の問いに「また歩けるようになりたい」と答えるNさん。
先日から、理学療法も始まり、立つ練習も始めました。決して諦めない。その生き方は、母として子供たちへの大切なメッセージです。