わたしが一番きれいだったとき
- 2014年5月11日
5月11日 母の日
5月は 私の母の 誕生月でもある 今年86歳を迎える
親不孝の息子でも 毎年の誕生日には必ず電話を入れる
そして 以前は 「何歳になった?」 と意地悪な質問をしていた
間をおいても 正解できたためしがない
ますます認知症がすすみ、
気遣って 最近では 「○○歳 おめでとう」 と言っている
母は、昭和3年生まれ 満州事変の時に生まれ
学徒動員で紡績工場にかり出され その内で 敗戦を迎えた
母が生まれてから少女時代 青春時代。 国はずーと戦争をやっていた
母よりも 3歳先に生まれた詩人茨木のり子さんも ほぼ同じ時代を生きた
わたしが一番きれいだったとき
茨木のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないとことから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残して皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
私の心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオではジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね