「甘納豆」
- 2025年4月10日
- 出版物(島崎/その他)
「甘納豆」昭和の時代を生き抜いたある患者様の物語——
「もう朝から晩まで働いた。だってそうしなきゃ食べていけないんだもん」
昭和7年生まれのNさんは訪問の度にそう繰り返し話していました。
子どもの頃、浅間山麓の養狐場で過ごしていましたが、やがて軍靴の音がNさん家族にも忍び寄ります。養狐場は陸軍用地として接収され、平穏な生活は一変しました。
身寄りもないまま東京に出てからは、食べるための生活に追われ、弟と二人三脚で甘納豆工場を創業し、朝から晩まで働き続けたそうです。
「弟は毎日飛込営業。また断られるかと思うと入口の前で足がガタガタ震えるって言っていた。私には真似できないよ。弟はとにかく頑張ってくれた」。
時に不満を呟くNさんも弟さんには感謝一杯。あんな生活もう嫌だと言いながらもどこか懐かしそうな表情を浮かべていました。大口取引が決まってからはますます忙しい毎日に。そんな甘納豆でしたが、お菓子の多様化の波には逆らえず、直売店も次第に縮小していきました。
「お店の屋号は?」と尋ねると、「花奴(はなやっこ)。弟が決めてくれたが、意味は何だろうね。わからない」と。
「花」はお姉さん、「奴」は弟さんのことではと水を向けると「どうかしら」とNさんは苦笑いした。
昭和という時代を鏡に写し出すように話すNさんでしたが、次第に元気がなくなり昨年天国へ旅立ちました。
スーパーで甘納豆の小粒を見かけると、工場で汗水流して動き回る小柄なNさんの長靴姿が浮かんでくるのです。
てあて在宅マッサージ昭島/豊田美紀
月刊てあて第188号より