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尾崎咢堂記念館に行ってきた

  • 2022年9月24日
  • 相模原だより


先週、M川先生に教えて頂いた相模原市又野出身の偉人、尾崎咢堂(行雄)記念館に早速行ってきました。こういうときだけフットワーク軽い。まぁ、鉄は熱いうちに打てとも言いますし…。


実はこの建物の存在は以前から認識していて、去年辺りからこの周辺にご縁があり週一ペースで建物前を通過していたのですが、公民館かな?くらいにしか思っていなかった…。まさかここに入る日が来るとは!


善悪乃標準碑。


善悪乃標準とは尾崎咢堂氏の理念のコアにあたる部分なんでしょうね。
かみ砕いて言うと「世の人々をより幸福にする行いは善事、それを減らす行いは皆悪事」みたいな感じでしょうか。


尾崎咢堂(行雄)氏の功績はちょっと多すぎて紹介しきれないのでかいつまんで紹介したいと思います。26回の当選回数、60年10ヶ月の議員在任期間というのは、未だに破られていないんだとか。今後も破られることはないかもしれないですね。


東京市長に在任していた明治45年に米国ワシントンD.C.に桜の苗木3000本を寄贈、その返礼として大正4年にハナミズキが米国より送られたそうです。
日本からワシントンD.C. に送られた桜はポトマック川河畔に植えられ、現在では毎年3月中旬に「全米桜祭り」が盛大に開催されているとか。


咢堂桜は米国ワシントンに贈った桜を枝わけして育てられたものを逆輸入した桜。


日本に送られた最初のハナミズキの原木は東京都立園芸高校に現存しているそうです。
2015年にはハナミズキが日本に送られて100年を記念した「ハナミズキ返礼100周年祭」も開催されていたそうですよ。桜とハナミズキが日米親善交流の花だったとは知らなかった…。そして現在、街路樹でたくさん見かける日本のハナミズキの起源に尾崎咢堂氏が関わっていたとは…。驚き!


演説にも定評のあった方で、演説のレコードも多数リリースされていたそうです(一部発禁)。


第二次世界大戦の末期に米軍がB29機より投下したビラ。福沢諭吉と共に尾崎行雄氏が掲載されている。


長年の功績から「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれ、衆議院から名誉議員の称号、また第一号東京都名誉都民にも選ばれた尾崎咢堂氏。

「戦争は勝っても負けても悲惨な状況をもたらす」ことを受け止めて、平和主義者として婦人参政権運動をバックアップしたり、日本の軍国主義を批判しつづけ、政界で一人取り残されたり、1931年の満州事変勃発では「日本は間違えている」という主張を保ち、周囲の圧力に耐え続けたり……、「善悪乃標準」は理想ではなく、一貫してそれを軸に立ち回っていた方だったんですね。そしてこの当選回数と在任期間は国民の支持を受け続けていた証。

相模原市、すごい偉人を輩出していました。

まだまだ紹介しきれない尾崎咢堂(行雄)氏にご興味を持った方は尾崎咢堂記念館、一度訪れてみてはいかがでしょうか。管理されている方も親切ですし、自然豊かで季節によってはサクラやハナミズキも楽しめるいい場所ですよ!