『ちいさい秋みつけた』の背景
- 2022年11月7日
- 相模原だより
サトウハチロー氏が作詞された童謡の『ちいさい秋みつけた』。
その中にある植物が出てくるのですが、皆さんおぼえていらっしゃいますでしょうか?
三番の歌詞に
むかしの むかしの 風見の鳥の
ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
はぜの葉あかくて 入日色
(引用:「ちいさい秋みつけた」より)
正解は『ハゼノキ(櫨の木)』
これはハゼノキ見ないと秋始まらないかもと思い立ち、是非そのハゼノキの紅葉が見てみたいとちょっと前から相模原周辺の公園などを探索していたのですが、残念ながら発見に至らず…。
そんな時たまたま近所を散歩していたら、ハゼノキを育てている方がおり、写真に撮るチャンスに恵まれました。ありがとうございます!<(_ _)>
その方曰く「もう終わりかけだよ」とのことでしたが、十分美しい紅葉ぶり。
そしてこの鮮やかな葉の色は「入日色」そのもの。歌詞の通りでした。
でもそれほどありふれた植物でもないハゼノキがどうして歌詞になったのか、「ちいさい秋みつけた」について調べてみるといろんな背景が見えてきました。
まず、ハゼノキはウルシ(漆)科の植物でウルシほどではないが、樹液などに触れるとかぶれるリスクがあるそうです。こんなに紅葉がキレイなのに市街地や公園であまり見かけないのはその辺に理由があるのかもしれません。元々は種子部をロウソクの原料にするために栽培されていたとか。
あと「ちいさい秋みつけた」の歌詞は全体として寂しげで暗いトーンで貫かれていますが、これはサトウハチロー氏の幼少期の体験が色濃く投影されていると考えられているそうです。
幼少期に脇腹に大火傷を負いその後遺症で家にこもりがちだったというハチロー氏。
一番の歌詞の「誰かさん」は外で鬼ごっこしている子供たち、その様子を病床の部屋の中で床に伏し耳を澄ましうらやましく聞いている。口笛がもずの声に重なる。誰かさんが見つけた秋を間接的に感じ取っている。
二番の歌詞は北向きの部屋の曇ったガラスに溶かしたミルクのような生気のないうつろな目の自分が映っている。窓からのすきま風が秋の風に変わってきたなと感じる。
三番の歌詞は遠い昔の記憶。その建物の屋根に古い風見鶏があり、そのとさか部分にハゼの葉が引っ掛かって、入日色に紅葉していたなと思い出している。
床に伏して病床からは直接的には秋を見つけられないけれど、外で遊ぶ子供達やもずの声、窓からのすきま風、記憶の中の風見鶏やハゼの葉の紅葉を通してちいさい秋を内面から見つけていく。昔から「誰かさんが」という歌詞がなんとなく引っ掛かっていたんですが、サトウハチロー氏の幼少期の心象風景が投影されていたと考えると少し分かったような気もします。
ちなみに「ちいさい秋みつけた」を作詞した当時、サトウハチロー氏が住んでいた場所にハゼノキが植えられていたそうで、そのハゼノキは現在、文京区の礫川(れきせん)公園に移植され、実際に見ることが出来るそうですよ!今ごろきっとキレイでしょうね!