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鳥屋の地震峠(関東大震災から百年を経て)

  • 2023年9月1日
  • 相模原だより

鳥屋の地震峠脇の街道

今日は九月一日の防災の日。今年は関東大震災からちょうど百年目にあたる年なんだそうです。今回は緑区鳥屋の地震峠の話をしたいと思います。私が地震峠を知ったきっかけは関の交差点から鳥屋に至る道すがらでポケモンGOを起動した際にスポットとして地震峠が表示された時でした。変わった名前の峠だなと当時訪問していたH様に地震峠の由来を聞いてみると、想像していたものとは違う、壮絶な出来事を知ることになるのでした。

 


地震峠手前の橋を渡った脇道を入ったところに臨時駐車場がありました。

 


何度となく通過していた地震峠ではありますが、実際に慰霊碑を見るのは今回が初めて。

 


慰霊碑入口。右の木はクルミの木で何個かクルミの実が落ちていました。

 


地震峠の慰霊塔。

 


関東大震災により山津波が起き、16人が埋没、うち8人は未だに確認されていない。その山津波により串川が堰き止められ上流五百メートルまで湖のように水没したそうです。

 


慰霊碑。被害に遭われた16名の名前が刻まれている。合掌。

 


百年前の今日、関東大震災により各地で甚大な災害が起こり、沢山の人々が被災しましたが、ここ相模原市周辺も例外に漏れず、多大な被害を被っていたんですね。今日の串川の穏やかな流れのような平穏な日々が末永く続いていくことを願わずにはいられません。そして今日に限らず常に防災の意識を持ち続けていきたいですね。(´;ω;`)bot